いやはや、
結局、ダラダラと晩酌してたら、
ウイスキーのボトルを
小さいボトルながら一晩で空けてしまった・・・・・・┐(´∇`)┌

ピアニスト [DVD]
ペニーズ・ビデオ [DVD]
そんな中、
ミヒャエルハネケの「ピアニスト」「ベニーズビデオ」という映画を見た。
非常に「見た後に不愉快になり後味が悪い」というので有名なハネケ映画だが、
どうやら私は思っていた通り、
だいぶ、変人なようで、
自分でも嫌になるほど、
平気で
「まぁ、そんなもんでしょ人間なんて」
と普通に冷静に共感できたから自分で恐ろしい。
二度と見たくないという声もネットで見かけるが、
私は是非何度も見てみたくなる映画だった。
うーむ、さすが、病みすぎてるワタクシ。
公式的に紹介されてる簡単なストーリーをコピペすると、、
「ピアニスト」…ピアノ教師のエリカ(I・ユペール)は、厳格な母(アニー・ジラルド)の夢であったコンサートピアニストになることができず、マゾヒズムの世界に没頭していた。そんな折り、彼女は工学部の学生ワルター(B・マジメル)から愛を告白されるが…。
「ベニーズビデオ」…物質的に恵まれた家庭で育った少年ベニーは、
スタンガンで屠殺される豚の映像に魅せられていた。
ある日、彼は家に招いた見知らぬ少女を衝撃的に殺害してしまう。
しかも、その模様をビデオカメラに収めていた。
そのビデオ・テープを目撃した両親が選択した道は・・・。
ピアニストの主人公エリカが変態だとは私は思わない。
ただし、マゾとか40年以上?異性と肉体関係を持った事がない人の気持ちはさすがに解らないですが、だからといって主人公に感情移入できないという事はまったくなく、
変態行動についても充分理解はできるし、極端な境遇でなくとも人間なら誰でも
誰にもいえない何か自分の中だけのワールドや癖、またはそのヒミツの時間や行動があるに違いなく、また、そのワールドがなければ生きていけない事実があると思います。
というかそのワールドが生きるエネルギーと言い切れますね。
ノーベル賞とるような人もイケメンもブサイクもモデルも女優も、
おそらく、みんな、「人間」である事に変わりなく、共通しているはずである。
そうでないなら僧侶か神にでもなればよろしいかと。
結局、最後のシーンのワルターの様子から、
エリカを愛したワルターは何を本当には考えていたのか誰にも解らないが、
一つ私個人的に思う事として、
もしかすると、ワルターはいずれ何らかの形でエリカに迫る機会が100%ないとは言い切れないように思える。
人間、一度でも関係を持った相手の事はそう簡単に忘れるものではないし、そのインパクトが強ければ強いほど、後になればなるほど(失った後になればなるほど)ジリジリとその「時間」「感触」が蘇り、えもいえぬ悶々とした気分になる事があります。私個人的な経験的に・・・・。
うーん、そうですね、具体的にリアルすぎる予想をすれば、
ワルターは新しくできた彼女といつか別れた時がきて、その後何かとてつもないブランクに陥ったような時、ふと、何かを思い出したかのようにエリカに復縁を迫る可能性が充分ありうると思える。
なので、この映画は私は救いようがないとは思わない。
いつかワルターは「自分の都合によっては」エリカを再び訪れるはずだし、
エリカはその時、ワルターを必要とするに違いない、それが嘘と解っていても。
人間とはそういうものだ。
ベニーズビデオ、これまた衝撃的な映画だったが、
これも基本的には、この主人公が「特別な頭のイカれた自分からは別世界の人」とは全く思わない。
普通の人間だと思う。
妙に共感したシーンがあって、
少女を殺した後、自分である程度始末しようとして血を拭いたりしている時、
全裸で作業をしていたことだ。
この理由は、正常じゃない状況に自分の身体が単純に熱くなってきたからなのかどうかは解らないが、これは人間心理としては共感できる部分だ。
酒を呑んだりしても妙に脱ぎたくなったりするものだが、
そのほかにも、何か感情がどこか動揺したりしてその処理に困る時、
人は無意識に脱ぎたくなく心理があるように思う。
途中で友達から電話がかかってきて平然と遊びの約束の電話を全裸のまま対応しているあたりが実にリアル。
あと、人を殺した直後であるにも関らず、いや、直後であるからこそ、
水を飲んだりデザートを食べたりしているシーンに妙に共感する。
これも、感情の処理に困った時に人がよく取る行動だ。
この映画のテーマの一つに、
「どんなものかと思って」映像の中でなく現実の中でそれをやってみたらどうなるかという事をリアルに見せているわけだが、
ピアニストを見た後のせいなのか、
ふと脳裏に過ぎった事があった。
「どんなもんかと思って」「やってみた」結果、
「なんだこんなもんか」
という局面が人生には色々あると思うが、
そうそう!
この感覚ね、
初めてセックスした時の後の気分
に近いように思う。
人を殺すのと異性を知る事は全く違うように思うが、
おそらく、
「どんなものかと思って(その思いが非常に大きいものである場合)」
「やってみた」ら「なんだこんなもんか」
という感覚、人殺しもセックスも何も違いがないように思うのだ。
しかも、期待が多きければ大きいほど意外とたいした事がないという面白さと恐さがあるのだ。
だから、この映画における主人公の行動は、
まさに、人殺しという行動意外にも充分当てはまるような心理がよく表されていて、
また、逆にいえば、そのような心理を体感したことがあるのであれば、
人殺しをしたとすると、意外とその時の自分の行動は淡々としたものなのではないかという事を予想させるものがあるように思う。
自分が何か怪我した時とかもそう。
人の怪我見て想像すると痛いのだが、
自分が怪我をすると想像するよりも平気だったりする。
そういえば私は目の手術を受けたことがあり、
麻酔は点眼麻酔で意識はっきり、メスが入るのも糸を縫うのも全部自分で見る事ができたが、
これを想像する他人は顔をしかめそうだが、
本人は至って冷静だった。
意外と人生にはそういう事が多い。
やってみれば意外とたいしたことがないという事が。
あと、両親の反応。
これは「隠蔽」という衝撃の選択だが、
私は別にこの選択が衝撃だとは思わない。
以前にも日記で書いたことがあったが、
人は自分の周囲の狭い範囲の中だけに愛があり、
それが愛だと勘違いしているバカどもが、
そこらの薄っぺらいラブソングやメロドラマを好むのだ、
私はそんなヤツは大嫌いだし、バカバカしくて興味がない、
と、いつも思っている。
つまり、この映画はその典型だ。
親は自分の子供を確かに愛しているとは思う。
しかし、それは本物ではない。
また、本物だったとしても、それは「範囲限定の愛」なのであり、
その範囲内の愛のためなら、範囲外の人間はどうでもいいのだ。
また、一般世間のバカたちが好む薄そうな愛とはたいがいそういうもんである。
恋人が病気になったら大問題だが、
他人が病気でも笑いものにしたり噂話の種にするだけ。
人間なんてそんなもんだし、私はそれを痛感せざるを得ない人生を送ってきたからそれが解る。
だからこの映画を見ても全く驚かない。
まぁ普通の人が考えることだろうなと。
いわゆる、私が常日頃いっている、
正常ということは異常だという事
を映像作品化してくれたものといえる。
ミヒャエルハネケはやはり予想通り私の思想とは相当に相性がよかった。
日常というのは、何事もないことであるかのようであるが、
実は日常というのは異常であり、
日常があるのは、異常であるのに正常であるように見せているという異常の集まりで回るからであり、
真実は異常なのである。
また、
何も起きていないという事は、
無限の何かが起きているという事である。
これは、
人間が、じっと立っている時、
何もしていないけれど
身体のあらゆる筋肉は必死で動いているという事と似ている。
何も起きないというのは不自然であり異常であり非日常と表裏になっている。
なので、平然と涼しい顔をしてバッチリとスーツできめているデキるビジネスマンが
「自分は一般常識があって税金もキッチリ払っている立派な社会人で、人ともコミュニケーションがうまくとれて家族も養っていて・・・」
なんていう人を見ても私は、
「へー、あっそ。だから何?」
って感じで、むしろ、そんな人が不気味で仕方がない。
どうせそいつのパソコンのどこかのフォルダにはエロ動画やエロ画像が沢山入っているかも知れないし、もしかしたらご丁寧に、「女子高生」「熟女」「人妻」とかフォルダ分けされてるぐらいの規模でパソコンの容量を支配しているかも知れないし、
どうせ人間なんてそんな程度の生き物でしかないくせに自分は常識人だと威張ってるヤツが気持ち悪くて不愉快で仕方がないのだよ。
何を威張ってるんだ、テメーなんかどうせ裏で変態のくせに
っていっつも思うよ。
まぁそういう意味では私にとってはミヒャエルハネケの映画は不愉快どころかむしろ非常に愉快でお笑いですらあると思える。
但し、それはベニーズビデオの特別映像でのハネケのインタビューであるように、
映像の中であるからこそ安全が保証されているというからこその余裕のある中だからこその
「不快を楽しめる心理」であり、
現実とは別である事は認識せねばならないわけだが。
そうそう、これらの映画は、
音楽があまり登場せず、
ピアノのレッスン風景やシーンのその場所で鳴っている音楽や音以外はほとんど鳴らない。
しかし、それがまたいい。
音楽があまり鳴らないから退屈なんて事は全くなく、
その上、音楽が鳴る時のその効果の大きさや映像との関係性が非常に素晴らしいのだ。
薄っぺらいラブソングや、
普通の恋愛ドラマや中途半端なドロドロドラマ程度で満足してるような人には、
絶対にオススメできないが(笑)、
私のように世の中をどこかであざ笑うような性格が一面にあるような人なら、
ミヒャエルハネケのこれらの映画は非常にオススメなので是非見て欲しいと思う。
一つ思うのは、
これらの映画を見て不快になるというような人がいたとしたら、
それは普段の思考が浅すぎるからだと思う。
要するに、
不快なのはハネケの映画なのではなく、
アナタなのだ。
不快の根源は、客側にある。映画ではない。
不快になるのはアナタの心の中が日頃から不快なもので渦巻いている・またはそんな自分に気付いていないほど何も考えてこなかったからだ。
という事は、もしかすると、
逆に既に変人の人よりも、
普通の薄っぺらい愛が愛だと思っているような不気味な一般人にこそ、
この映画を見て不快になり、その不快の原因が映画にあるわけではないことに気付いて欲しいともいえる。
結局、ダラダラと晩酌してたら、
ウイスキーのボトルを
小さいボトルながら一晩で空けてしまった・・・・・・┐(´∇`)┌

ピアニスト [DVD]
ペニーズ・ビデオ [DVD]
そんな中、
ミヒャエルハネケの「ピアニスト」「ベニーズビデオ」という映画を見た。
非常に「見た後に不愉快になり後味が悪い」というので有名なハネケ映画だが、
どうやら私は思っていた通り、
だいぶ、変人なようで、
自分でも嫌になるほど、
平気で
「まぁ、そんなもんでしょ人間なんて」
と普通に冷静に共感できたから自分で恐ろしい。
二度と見たくないという声もネットで見かけるが、
私は是非何度も見てみたくなる映画だった。
うーむ、さすが、病みすぎてるワタクシ。
公式的に紹介されてる簡単なストーリーをコピペすると、、
「ピアニスト」…ピアノ教師のエリカ(I・ユペール)は、厳格な母(アニー・ジラルド)の夢であったコンサートピアニストになることができず、マゾヒズムの世界に没頭していた。そんな折り、彼女は工学部の学生ワルター(B・マジメル)から愛を告白されるが…。
「ベニーズビデオ」…物質的に恵まれた家庭で育った少年ベニーは、
スタンガンで屠殺される豚の映像に魅せられていた。
ある日、彼は家に招いた見知らぬ少女を衝撃的に殺害してしまう。
しかも、その模様をビデオカメラに収めていた。
そのビデオ・テープを目撃した両親が選択した道は・・・。
ピアニストの主人公エリカが変態だとは私は思わない。
ただし、マゾとか40年以上?異性と肉体関係を持った事がない人の気持ちはさすがに解らないですが、だからといって主人公に感情移入できないという事はまったくなく、
変態行動についても充分理解はできるし、極端な境遇でなくとも人間なら誰でも
誰にもいえない何か自分の中だけのワールドや癖、またはそのヒミツの時間や行動があるに違いなく、また、そのワールドがなければ生きていけない事実があると思います。
というかそのワールドが生きるエネルギーと言い切れますね。
ノーベル賞とるような人もイケメンもブサイクもモデルも女優も、
おそらく、みんな、「人間」である事に変わりなく、共通しているはずである。
そうでないなら僧侶か神にでもなればよろしいかと。
結局、最後のシーンのワルターの様子から、
エリカを愛したワルターは何を本当には考えていたのか誰にも解らないが、
一つ私個人的に思う事として、
もしかすると、ワルターはいずれ何らかの形でエリカに迫る機会が100%ないとは言い切れないように思える。
人間、一度でも関係を持った相手の事はそう簡単に忘れるものではないし、そのインパクトが強ければ強いほど、後になればなるほど(失った後になればなるほど)ジリジリとその「時間」「感触」が蘇り、えもいえぬ悶々とした気分になる事があります。私個人的な経験的に・・・・。
うーん、そうですね、具体的にリアルすぎる予想をすれば、
ワルターは新しくできた彼女といつか別れた時がきて、その後何かとてつもないブランクに陥ったような時、ふと、何かを思い出したかのようにエリカに復縁を迫る可能性が充分ありうると思える。
なので、この映画は私は救いようがないとは思わない。
いつかワルターは「自分の都合によっては」エリカを再び訪れるはずだし、
エリカはその時、ワルターを必要とするに違いない、それが嘘と解っていても。
人間とはそういうものだ。
ベニーズビデオ、これまた衝撃的な映画だったが、
これも基本的には、この主人公が「特別な頭のイカれた自分からは別世界の人」とは全く思わない。
普通の人間だと思う。
妙に共感したシーンがあって、
少女を殺した後、自分である程度始末しようとして血を拭いたりしている時、
全裸で作業をしていたことだ。
この理由は、正常じゃない状況に自分の身体が単純に熱くなってきたからなのかどうかは解らないが、これは人間心理としては共感できる部分だ。
酒を呑んだりしても妙に脱ぎたくなったりするものだが、
そのほかにも、何か感情がどこか動揺したりしてその処理に困る時、
人は無意識に脱ぎたくなく心理があるように思う。
途中で友達から電話がかかってきて平然と遊びの約束の電話を全裸のまま対応しているあたりが実にリアル。
あと、人を殺した直後であるにも関らず、いや、直後であるからこそ、
水を飲んだりデザートを食べたりしているシーンに妙に共感する。
これも、感情の処理に困った時に人がよく取る行動だ。
この映画のテーマの一つに、
「どんなものかと思って」映像の中でなく現実の中でそれをやってみたらどうなるかという事をリアルに見せているわけだが、
ピアニストを見た後のせいなのか、
ふと脳裏に過ぎった事があった。
「どんなもんかと思って」「やってみた」結果、
「なんだこんなもんか」
という局面が人生には色々あると思うが、
そうそう!
この感覚ね、
初めてセックスした時の後の気分
に近いように思う。
人を殺すのと異性を知る事は全く違うように思うが、
おそらく、
「どんなものかと思って(その思いが非常に大きいものである場合)」
「やってみた」ら「なんだこんなもんか」
という感覚、人殺しもセックスも何も違いがないように思うのだ。
しかも、期待が多きければ大きいほど意外とたいした事がないという面白さと恐さがあるのだ。
だから、この映画における主人公の行動は、
まさに、人殺しという行動意外にも充分当てはまるような心理がよく表されていて、
また、逆にいえば、そのような心理を体感したことがあるのであれば、
人殺しをしたとすると、意外とその時の自分の行動は淡々としたものなのではないかという事を予想させるものがあるように思う。
自分が何か怪我した時とかもそう。
人の怪我見て想像すると痛いのだが、
自分が怪我をすると想像するよりも平気だったりする。
そういえば私は目の手術を受けたことがあり、
麻酔は点眼麻酔で意識はっきり、メスが入るのも糸を縫うのも全部自分で見る事ができたが、
これを想像する他人は顔をしかめそうだが、
本人は至って冷静だった。
意外と人生にはそういう事が多い。
やってみれば意外とたいしたことがないという事が。
あと、両親の反応。
これは「隠蔽」という衝撃の選択だが、
私は別にこの選択が衝撃だとは思わない。
以前にも日記で書いたことがあったが、
人は自分の周囲の狭い範囲の中だけに愛があり、
それが愛だと勘違いしているバカどもが、
そこらの薄っぺらいラブソングやメロドラマを好むのだ、
私はそんなヤツは大嫌いだし、バカバカしくて興味がない、
と、いつも思っている。
つまり、この映画はその典型だ。
親は自分の子供を確かに愛しているとは思う。
しかし、それは本物ではない。
また、本物だったとしても、それは「範囲限定の愛」なのであり、
その範囲内の愛のためなら、範囲外の人間はどうでもいいのだ。
また、一般世間のバカたちが好む薄そうな愛とはたいがいそういうもんである。
恋人が病気になったら大問題だが、
他人が病気でも笑いものにしたり噂話の種にするだけ。
人間なんてそんなもんだし、私はそれを痛感せざるを得ない人生を送ってきたからそれが解る。
だからこの映画を見ても全く驚かない。
まぁ普通の人が考えることだろうなと。
いわゆる、私が常日頃いっている、
正常ということは異常だという事
を映像作品化してくれたものといえる。
ミヒャエルハネケはやはり予想通り私の思想とは相当に相性がよかった。
日常というのは、何事もないことであるかのようであるが、
実は日常というのは異常であり、
日常があるのは、異常であるのに正常であるように見せているという異常の集まりで回るからであり、
真実は異常なのである。
また、
何も起きていないという事は、
無限の何かが起きているという事である。
これは、
人間が、じっと立っている時、
何もしていないけれど
身体のあらゆる筋肉は必死で動いているという事と似ている。
何も起きないというのは不自然であり異常であり非日常と表裏になっている。
なので、平然と涼しい顔をしてバッチリとスーツできめているデキるビジネスマンが
「自分は一般常識があって税金もキッチリ払っている立派な社会人で、人ともコミュニケーションがうまくとれて家族も養っていて・・・」
なんていう人を見ても私は、
「へー、あっそ。だから何?」
って感じで、むしろ、そんな人が不気味で仕方がない。
どうせそいつのパソコンのどこかのフォルダにはエロ動画やエロ画像が沢山入っているかも知れないし、もしかしたらご丁寧に、「女子高生」「熟女」「人妻」とかフォルダ分けされてるぐらいの規模でパソコンの容量を支配しているかも知れないし、
どうせ人間なんてそんな程度の生き物でしかないくせに自分は常識人だと威張ってるヤツが気持ち悪くて不愉快で仕方がないのだよ。
何を威張ってるんだ、テメーなんかどうせ裏で変態のくせに
っていっつも思うよ。
まぁそういう意味では私にとってはミヒャエルハネケの映画は不愉快どころかむしろ非常に愉快でお笑いですらあると思える。
但し、それはベニーズビデオの特別映像でのハネケのインタビューであるように、
映像の中であるからこそ安全が保証されているというからこその余裕のある中だからこその
「不快を楽しめる心理」であり、
現実とは別である事は認識せねばならないわけだが。
そうそう、これらの映画は、
音楽があまり登場せず、
ピアノのレッスン風景やシーンのその場所で鳴っている音楽や音以外はほとんど鳴らない。
しかし、それがまたいい。
音楽があまり鳴らないから退屈なんて事は全くなく、
その上、音楽が鳴る時のその効果の大きさや映像との関係性が非常に素晴らしいのだ。
薄っぺらいラブソングや、
普通の恋愛ドラマや中途半端なドロドロドラマ程度で満足してるような人には、
絶対にオススメできないが(笑)、
私のように世の中をどこかであざ笑うような性格が一面にあるような人なら、
ミヒャエルハネケのこれらの映画は非常にオススメなので是非見て欲しいと思う。
一つ思うのは、
これらの映画を見て不快になるというような人がいたとしたら、
それは普段の思考が浅すぎるからだと思う。
要するに、
不快なのはハネケの映画なのではなく、
アナタなのだ。
不快の根源は、客側にある。映画ではない。
不快になるのはアナタの心の中が日頃から不快なもので渦巻いている・またはそんな自分に気付いていないほど何も考えてこなかったからだ。
という事は、もしかすると、
逆に既に変人の人よりも、
普通の薄っぺらい愛が愛だと思っているような不気味な一般人にこそ、
この映画を見て不快になり、その不快の原因が映画にあるわけではないことに気付いて欲しいともいえる。
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