--- 天 声 燐 語 ---

[芸術:思想:経済:妄想:暴走]
音楽系人間のわりに、為替・経済、人間精神思想などの記事も多くてワケ解らんブログですが(笑)、
とりあえず、私、本当のメインは当然、音楽・芸術なので、そこらへん、よろしくお願いします(謎笑)。
ブログ管理人が幸せになれるまであと 日。
あー、暑い!←昼
あー、寒い!←夜

微妙な季節だ…
ま、別にどーでもいいんですけど。
なんとなく、というか、もろに精神状態絶不調。
ま、別にどーでもいいんですけど。
ま、色々あるもんでして。
しっかしダルイ。一日に目薬刺しすぎだし(笑)

そうそう、理解しがたいようなこと書きますけど、
おれは自分に対しての何か見えるものの位置の「真ん中」の感覚が解らなくて生きてる心地がいつもしない。
 ドラム叩くときもそうだし道歩く時もそうだし、ボーッとしててもそうだし、とにかく、なんだか疲れるんである(笑)。
 別にモデルを目指すわけではないので限りなく真っ直ぐ歩く必要もないので別に関係ないが、ドラム叩く場合、自分の視覚感覚を本能的に「しっくりくる」ようにするのに少し首が右に傾きがちな傾向がある。昔からなんだが。ドラムを叩く動作を垢抜けさせるためにと、「真ん中が真ん中であるように」自分の視界が気味悪いのを我慢してまでかなり意識して叩いているのでかなり疲れるのである。
 どちらかといえばツーバスセットで自分の真正面に2タムとか3タム状態とか、左右対称な多点ドラムセットだとそういう気持ち悪さも少しは解消されそうだが、基本、スタジオ据え置きの普通の4点セットドラムセットというのは、少し独特だ。 ライブとかによく足を運んだりしてる人でドラマーを見ればすぐ解るだろうが、ドラムセットが向いてる向き(バスドラが向いてる方向)とドラマー自身の向きは少しずれている。これはまぁスネアとハットでビートを刻んでる場合は特にそうで、つまり客席から見るとドラマーの顔はほとんど「右半分状態」である。つまりスタンダードなドラムセットというのは意外と絵面的なバランスに偏りがあるのだ。
 ツーバスセットなら普通にドーンとセットがあってその真ん中にドラマーがいる状態になるのだが、普通のセットだと、少し左右のバランスが独特で、絵的には実はバランスが悪い。おれみたいな特殊な視覚感覚でヒーヒーいって死にそうに生きてる人間にとっては(笑)、特に普通のドラムセットに座った時の「真ん中ってどこだろ??」状態はすんごい目が疲れる。その上客から見て首の角度はどうなってるか、とか考え出すと結構発狂ものだが、結構頑張ってますよ(笑)。
おれにとって、「普通である」ことは、「大変なこと」である。おれが必死で何か頑張らなくてもいい何かを強がって頑張っている事に誰も気付いてくれないので(気付かれないようにしているから)、余計に疲れるわけだが。まぁ何するにしても疲れるね、おれは(笑)。
 たまにそういうどうしようもない現実に無性に腹が立つ時がある。どれぐらい腹が立つかというと、カメハメハを23回全力で土星に向かって撃ってもまだ足りないぐらい(謎笑) 
「サンドバッグを殴ればすっきりする。」的な怒りやわだかまりなど、屁でもない。人生においてやり場のない何かが一番の敵だ。そしてそれに勝てるか勝てないかが自分にかかっている以上、自分の最大の敵は自分だ。こんなに恐ろしいこともなかろう。でもこんなに解りやすく単純なこともなかろう。だけど複雑。これが人間の背景。

 まぁだからこそ、おれは、努力でなんとかできることなら具体的に行動に起こして意地でも絶対にやってのけてみせるっていうタイプの人間になれたんだろうけど。元々どうしようもないものがあってその悔しさから逃れられないからこそ、努力することは誰にも負けないし努力でできることは絶対になんとかなるんだから何とかしようとする。自分にできることは、「努力でなんとかできることを何とかして自分を磨くこと」だけ。しかし、これがどれだけ広い可能性があることかを解っていない人間は多い。いわゆる平和ボケとでもいいますか。だから努力でなんとかなるようなものを努力もしないでグダグダいうやつが最強に嫌いとかいうのもそういう部分か。
 自分のあらゆる能力にどれほどの無限の可能性を秘めているか。具体的にいうと、
カメハメハを23回全力で土星に向かって撃ってもまだ足りないぐらいの能力は人間にはある(謎笑)
 それに気付いていない人間が多いというのは平和ボケ極まりないのだ。愚かだ。
 これは他人にも置き換えることができ、自分の尊さを解っていれば他人を尊く思える人間になれる。

 話が難しくなってきたが(笑)、あ、そういえば今日のスタジオのミーティングで、「他バンドとの交流」とかについての楼蘭の話が出たりしたなぁ。
 そう、それこそこういうアレもアレなんだよな、交流嫌いな楼蘭の中でも飛びぬけて交流嫌いなのが、、、あ、意外とおれだけじゃないみたいだからヘンなバンドだよな(笑笑)
 まぁ孤高の戦士ベジータ路線でももし本当にカッコイイもんならカッコイイし寄ってくる人は勝手に寄ってくるだろう。というか本当はそれが真実だから。
 だから「現実が厳しいのは人間という生き物がどこまでもヴァカだから」、そしてだからそれゆえ「現実の中に真実は99%ない(特に目に見えてすぐ見えるもの、解るもの)」って日記とかでいってんのね、おれは。解るかなぁこの意味?←別に誰相手でもなく問う(笑)
 ま、とにかくおれもなんつーか、つまり、「人生の中で色んなスパイスを吸収しすぎた」ことによって今の独特の自分(とか自分の心理)が形成されてしまった。「しまった」?ん〜、ほんとは、「形成された!」と誇っていうべきなのだけれどもね。
 おれは思う。
人間が人間を尊重し、どこまでも神(のような存在の何か)に近づくことができたならば、その先にある答えは「」だと思うんですよ。
人を尊重すること、人を思いやって人と関わること、これらが「極めて」神に近い領域になった時、多分、人は「無」となる。もうちょっと解りやすくいうならば、「あまり喋らなく(喋れなく)なる」ということ。
 おれはいつもいってる。
おれは人間が誰よりも好きだ。
どれぐらい好きかって、
「好きだー!!」と叫びながらカメハメハを24回全力で土星に向かって撃ってもまだ足りないぐらい(←もういい/笑)

そもそも交流とは何か?
そこまで深く考える人間もそういないだろうが、おれの心理は複雑なのだよ、誰のせいでもない、いや、過去お前のせい、過去のアンタのせい、過去のテメーのせい、過去の貴女のせい、なんだよ!(謎謎謎)
見えるんだよなー、どうでもいいものと、そうでないものとの境界線ってのが、おれにはね。
そのとき、ほとんどは、削り落とされるのさ。
それぐらいつまらん生き物なの人間て。それぐらいつまらんモノなの世の中て。
 キレイ事を言ったって無駄ですよ。おれはもう解るんだから。
交流が好きだと、交流できなくなる。
人が好きだと人が嫌いになる。
人が好きだから人が嫌いになる。
こういう感覚もまぁよく考えると複雑で且つ実は単純なものですけどね。

 「境界線」。
自分と同じ「人を尊重する気持ち」を相手が持っていなければ、あるいは持っているか持っていないか解らなければ(つまり新しい誰かとの交流を指す)、基本、交流する気がない。
だから大半が「境界線」の向こう側、と、なる。
境界線の向こう側のあなたたちは(笑)、おれにとって、時として「無関心・無関係」、時として「敵」、時としてゴミ。それだけだ。
 こういうおれの考えに誰か文句でもあるならタバスコ一気飲みでもしてよーく考えてみやがれ(意味不明/笑)


 あ、いっときますけど、こういう日記書くと、一体どれだけおれが変人であるかと思われがちですが(笑)、あ、ヘンなのはヘンなのだが(笑)、まぁ普通にまぁまぁそこそこ明るい人ですよ?多分ね(笑)。
 ただ、心の奥を抉り出すとこうなるという極論はこうということで。
なんだかんだいって、まぁおれはだからって別に人に対して冷たいとか虚無主義とかではないが、まぁ微妙なバランスで成り立っていて、ほんと、微妙なバランスなんで、おれの倒れそうなピサの斜塔的人間哲学は倒れそうで永遠に倒れません。安心してください。
意味不明ですが(笑)


最近ろくな夢を見ないわなんかアレだわで、おかしな日記になったが、たまにはこういうのもアリかと。(笑)
ほんじゃバイビー♪(笑)
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