前の記事の続き
偽装などにしても、それは過当競争からくるもので、
余計な在庫を抱えてそれをできる限り赤にしたくないから、
偽装してまで売りぬこうとするわけで、
それは、最初からそういう過当競争をしないように政府が市場をある程度規制・支配するような国であればバカげた事は極力起こらないはずである。まぁ政府の裏に何か闇的なものが関与していると考えるとそこらへんももしかすると相当難しいのかも知れませんが、
たとえ庶民を裏の誰かが家畜扱いしてもそれはそれで仕方ないと思うが、
その家畜を殺してはいけない事は確か。
砂漠の亀ですら、池の魚を全部食べずに別の池に探しに行く(要するに自分のカモを絶滅はさせないという知恵)があるのだから、人間だったらそれぐらいできるでしょう。
タラバガニが危ないとか一時話題になったが、いや、そこまでなるまで獲らんでもアンタ(笑)。腹八分を知らないというかなんというか…なんという生き物だ人間は…(笑)
企業のコスト削減を人件費からというのは、私的には間違いであると思うわけで、失業率とインフレは少し反比例的な関係にあるようだが、
「心の価値観」でそれは改善できるのではないかとも思う。
収益機会を増やす為に生まれるコストを削減し、
収益機会を減らすと、プラマイゼロにはならないのだろうか?
しかしそうなると失業者が発生する。しかしその人件はどうしても削らなければならないか?
いや、人件費がどうたら言ってるわりに、みなさん、
非常に忙しそうである。
つまり、仕事に対して人が溢れているようでいて、実は人が足りないともいえるのではないだろうか?
だから仕事がいい加減になったり、企業も客はバカみたいに大事にするのに肝心の従業員は大事にしないとか(笑)、そういう何か根本的な部分で完全に間違っているというか焦点がズレているような気もするのだが。
庶民が、買い物に行って売り切れでスッカラカンになっている棚を見て、
「なんだこのダメな店は…」
などという愚かな事を思わなければいいのである。
それぞれの企業がそれぞれの役割を確実に果たし、それぞれの消費者の要望に応える。なにもどこもかしこもが、どこもかしこもの消費者の希望に応えてくれなくても結構なのである。
それは企業側の自信の無さ、意志の弱さ(経営理念のズレ)、消費者の需要を過剰に妄想した強制的架空供給であり、それに実際に振り回される消費者の愚かさである。
「時間がないんだから店に行って売り切れなんて許せないし、できれば一つの店に行くだけで色んな商品をまとめて買いたい」
というこらまた愚か過ぎるバカ消費者の贅沢な需要は、
本当には一体誰が作ってしまったのか?
需要供給は真実のようで洗脳的である。
時間がないのは仕事が忙しいからで、それは賃金の低さ故の庶民の経済的ストレスを意味する。
しかし、賃金は本当に低いのか?
まぁ土地代などの関係によっても低いのは確実だろうが、
改善は可能。
自分を苦しめているのは実は自分の愚かな心だったりする。
隣の金持ちのデカイ家のリモコンで開くようなシャッターの向こうに見える外車などを見て「羨ましい」とか思わなければ済む話である。
ちなみにそれは例えば恋愛感などにも通じるだろうか。
自分の価値観を各々に見直すことが最終的には経済を潤すとは思えないだろうか??
心の価値の政策は、実は、世の中をあらゆる意味で改善し、
より人間らしく、まっとうなものこそがまかり通る本来のよき時代へと導かれるはずである。
「心の政策」による価値の操作改革は、
金利も賃金も物価も株価も通貨価値も、
それらの問題を超越して、世の中がどんな状態でも、
みんなが幸せになれる最後の手段だろう。
環境に右往左往・喜怒哀楽するのではなく、
変えるべきは自分の心だと強く主張したい。
つまり人生に対しての価値観を、
受動的でなく能動的であれと、思うわけである。
偽装などにしても、それは過当競争からくるもので、
余計な在庫を抱えてそれをできる限り赤にしたくないから、
偽装してまで売りぬこうとするわけで、
それは、最初からそういう過当競争をしないように政府が市場をある程度規制・支配するような国であればバカげた事は極力起こらないはずである。まぁ政府の裏に何か闇的なものが関与していると考えるとそこらへんももしかすると相当難しいのかも知れませんが、
たとえ庶民を裏の誰かが家畜扱いしてもそれはそれで仕方ないと思うが、
その家畜を殺してはいけない事は確か。
砂漠の亀ですら、池の魚を全部食べずに別の池に探しに行く(要するに自分のカモを絶滅はさせないという知恵)があるのだから、人間だったらそれぐらいできるでしょう。
タラバガニが危ないとか一時話題になったが、いや、そこまでなるまで獲らんでもアンタ(笑)。腹八分を知らないというかなんというか…なんという生き物だ人間は…(笑)
企業のコスト削減を人件費からというのは、私的には間違いであると思うわけで、失業率とインフレは少し反比例的な関係にあるようだが、
「心の価値観」でそれは改善できるのではないかとも思う。
収益機会を増やす為に生まれるコストを削減し、
収益機会を減らすと、プラマイゼロにはならないのだろうか?
しかしそうなると失業者が発生する。しかしその人件はどうしても削らなければならないか?
いや、人件費がどうたら言ってるわりに、みなさん、
非常に忙しそうである。
つまり、仕事に対して人が溢れているようでいて、実は人が足りないともいえるのではないだろうか?
だから仕事がいい加減になったり、企業も客はバカみたいに大事にするのに肝心の従業員は大事にしないとか(笑)、そういう何か根本的な部分で完全に間違っているというか焦点がズレているような気もするのだが。
庶民が、買い物に行って売り切れでスッカラカンになっている棚を見て、
「なんだこのダメな店は…」
などという愚かな事を思わなければいいのである。
それぞれの企業がそれぞれの役割を確実に果たし、それぞれの消費者の要望に応える。なにもどこもかしこもが、どこもかしこもの消費者の希望に応えてくれなくても結構なのである。
それは企業側の自信の無さ、意志の弱さ(経営理念のズレ)、消費者の需要を過剰に妄想した強制的架空供給であり、それに実際に振り回される消費者の愚かさである。
「時間がないんだから店に行って売り切れなんて許せないし、できれば一つの店に行くだけで色んな商品をまとめて買いたい」
というこらまた愚か過ぎるバカ消費者の贅沢な需要は、
本当には一体誰が作ってしまったのか?
需要供給は真実のようで洗脳的である。
時間がないのは仕事が忙しいからで、それは賃金の低さ故の庶民の経済的ストレスを意味する。
しかし、賃金は本当に低いのか?
まぁ土地代などの関係によっても低いのは確実だろうが、
改善は可能。
自分を苦しめているのは実は自分の愚かな心だったりする。
隣の金持ちのデカイ家のリモコンで開くようなシャッターの向こうに見える外車などを見て「羨ましい」とか思わなければ済む話である。
ちなみにそれは例えば恋愛感などにも通じるだろうか。
自分の価値観を各々に見直すことが最終的には経済を潤すとは思えないだろうか??
心の価値の政策は、実は、世の中をあらゆる意味で改善し、
より人間らしく、まっとうなものこそがまかり通る本来のよき時代へと導かれるはずである。
「心の政策」による価値の操作改革は、
金利も賃金も物価も株価も通貨価値も、
それらの問題を超越して、世の中がどんな状態でも、
みんなが幸せになれる最後の手段だろう。
環境に右往左往・喜怒哀楽するのではなく、
変えるべきは自分の心だと強く主張したい。
つまり人生に対しての価値観を、
受動的でなく能動的であれと、思うわけである。
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