--- 天 声 燐 語 ---

[芸術:思想:経済:妄想:暴走]
音楽系人間のわりに、為替・経済、人間精神思想などの記事も多くてワケ解らんブログですが(笑)、
とりあえず、私、本当のメインは当然、音楽・芸術なので、そこらへん、よろしくお願いします(謎笑)。
ブログ管理人が幸せになれるまであと 日。
以前、私が冗談半分本気半分で将来建てたい事務所兼スタジオ兼娯楽施設のアホ画像をアップしたが(笑)、
なごみスタジオ
※以前アップした時よりも炬燵が追加されてます(笑)

 私は自分が人の音楽ライブを観たり、逆に自分がステージに立ったりしてきて、
両者の立場を両方味わってきて、
様々な疑問がありました。

大きな提起は、

・音楽とは何か?
・音楽ライブとは何か?
・娯楽とは何か?
・「楽しい」とはどういうことか?

これらについて酷く疑問がわいていたのである。

私は音楽に携わる人間であるにも関わらず、
自分がライブをやって本当に気持ちよかった事もないし、
人のライブを観て本当によかったと思った事も実は無いのです。

ただ、以前福祉施設でピアノ演奏させていただいた時だけは、
本当に音楽やっててよかったと思えた事もありましたが。

それは何故でしょうか?

まず、驚くべき事は、

例えばバンドのロックライブなどでは、
娯楽施設に足を運んでいるのに異様に疲れるという事です(笑)。
 オールスタンドは当たり前、ミンナが頭を振ったり手を振ったりするところでジッと黙っているようだとどうも浮く、とか、そういう空間が本当に娯楽といえるのかという疑問だ。そしてそれは本当に「一体感」があるといえるのか。

 私の性格が変わっているからかも知れないが、
私は基本、「モノ」がなくても楽しめる人である。
最高の「遊び場」は「頭の中」なのである。

例えば、人の家に遊びに行ったとして、そこで何かイベントがあると初めて人は「楽しい!」と思える傾向にあるように思うが、
私はただ、くつろげる空間にいるその「感覚」だけで興奮できるのである。
何を特別やらなくても、最高に幸せな時間を過ごす事ができる。

高校の時の遊園地の遠足などでも、
ハイテクな乗り物はほとんど乗らずに延々と何人かの友達と喋りながらただ園内をウロウロし、パターゴルフなんかをノンビリとたしなみ(笑)、まぁ最後らへんにゴーカートのぶつけ合いするヤツに乗って楽しんだぐらいで、他はただウロウロ喋りながら食べ歩き、
それだけで充分楽しめたような人である(笑)。
遊園地の意味ほとんどねー(笑)
乗り放題パスポートとか意味ねー(笑)。


つまり、娯楽とは、モノや目に見えるイベントが生むのではなく、
心が生み出すものであると私は考える。
形ばかりの娯楽は逆に不自然で疲れるだけである。そして意外にも人の距離は近いようで遠いのである。
 居酒屋の例がそうだろう。酒の旨さは「相手による」とかいうあれです。
いいすぎれば、「空気」が幸せなら、お茶飲むだけで幸せにもなれるだろう。それ以上のものは必要ない。

だからこそ、私は上の画像のようなスタジオが理想で(笑)、
ライブというものの概念もぶち壊したいとも思う。

よくクラシックコンサートなどでは、咳もできないクシャミもできない、そして果ては山の遭難のごとく眠たくても寝れない、という苦しみに耐えながら芸術を嗜むことになる(笑)。

そんな中、こんな面白い変態男がいた。
エリックサティ
「ジムノペディ」で有名なエリックサティ。

彼はカフェでピアノ弾きをしていたためか、自らのスタイルを「家具の音楽」と名づけ、
自分が演奏する時は、
「どうか、私の演奏をお聞きにならないでください」
といったそう。
つまり、空間に溶け込む音楽を提供していたのだろう。
これはとても素晴らしいと思い、私もこの考え方に非常に影響を受けた。
 おまけに彼は、カフェで音楽について熱く語っている者に対して、
「バカモノッ!!」
と怒ったらしい(笑)。
やっぱ彼はすごい。私も見習うべきだと思った。

 そういえば、私が福祉施設で演奏させていただいた時は、まさにその空気に似たものがあったかもしれない。
施設の子供達は、ステージや客席などという境目のない床に起きたり寝転がったり、
笑ったり泣いたり、まぁそれぞれがそれぞれの感性のままに音楽を聴いてくれていた。
というよりも、音が空気の中に溶けていたのだろう。
音楽は聴いてこそなんぼだろうが、別に本気で聴く必要はない。
問題は心地よいかどうかである。
ミンナ全員で頭振って手振ってそれでストレス発散になるなら、まぁ別にアッチの世界に行ってくれて結構だが、私個人的には、そういうライブは理想ではないので、
そういうライブに行く気もないし、そういうライブをする気もない。
 そういえば結婚式でピアノを弾かせていただいた時も、どちらかといえば「ナガラ」の雰囲気で、半ば酔っ払った人などもいて(実は私もピアノ弾く前にワインを飲みすぎてユラユラしててピアノ弾いた/笑)、演奏終わったら「最高っ!」とか言ってくれたおっちゃんとかいたのですが、まぁ一体どこまでちゃんと聴いてたんだかという気もしますが、まさにそれこそが音楽なのかなとも思えます。「ながら」は実は究極の娯楽かもしれません。
 炬燵にみかん、空間に音楽、みかんと音楽に違いはないのかも知れない。

 話し戻ってクラシックコンサート。
私はピアノもたいしたことないんで、まぁそういう系のライブを自分がやる事は絶対にないだろうが、もし仮にやるとすれば、
シーンと静まり返ったホールにピシーッと綺麗にならんだ椅子に並んで座って咳もクシャミもせずに観るコンサートはやりたくないだろう。
 個人的には、自分がライブをやるなら、
それこそ、「まぁそんな真剣に聴かないでください。まぁテキトーにくつろいでってくださいな♪」という空気にしたい。

具体的には、それこそ上の画像でもあるように、
和風、畳、囲炉裏、炬燵など、
これまでのライブハウスとは一線を画した空気にしたいし、
カフェやハウスでは飲み物は酒類が種だが、私が考える和風施設では飲み物はお茶・抹茶(笑)、それと、金平糖(笑)、その他テキトーにスナック菓子とか(笑)。
安くつくわりには、やたら「娯楽感」にひたれるのでは?(笑)
さらには、
将棋盤・囲碁盤、そして布団なども設置し(笑)、
心地よくなって眠たくなったならそのまま寝てくれていいというコンサートが理想(笑)。
特にクラシックホールには椅子席と布団席を用意して用途に応じた席のチケットを用意するのがよいかと(笑)。
寝たけりゃ寝りゃ〜いいのである(笑)。
音楽は何も真剣にそっちの方見て耳傾けて、というのが音楽ではないかもしれない。
 そういう意味でもオールスタンドの押し付け一体感満載の疲れるライブは音楽の本質とはかけ離れていると私は思う。
 さらに理想としては、コンサートの途中で心地よさのあまりに寝てしまって、
あまりに眠たくて家に帰るのも面倒というぐらいに心地よくなった客にそのまま泊まってもらえるように旅館も合わせて経営すればめちゃ面白そう(←経営難易度最強、やれるもんならやってみろ。笑笑笑)、あ、当然、和風ね(笑)。
 料理は未来の私の誰か伴侶が作りますよーっと(爆笑)まだいませんけど(笑)。

まぁそういう空間を提供したければ、あまりキャパは多く出来ないというものだが、
逆にそれがアーティストや表現者の息の長さに繋がるのではないかとも思う。
 一度に沢山の人を満足させてしまうと、満足してない人がいなくなるのが早いので、
結果、アーティストは自身の活動回転を速めざるを得なくなり、無駄に沢山の曲を作ったりしないといけない(そうなるとクオリティが後になるほどいい加減になり勝ち)、なので、
大量に客を収容するシステムは逆効果だと考える、その代わり照明とか特別なスクリーンとかエフェクト機材などの無駄なコストはかけずに、
いかに「心が生み出す価値」を高めるかでコストを下げることでもっと無理のない現実的な経営を可能とするのではないだろうか。現代の音楽ライブは、中身もないくせに見かけばかり大層でそのくせコストに無理がありすぎる。これで赤字になるなという方が難しいだろう。

 こういう「見た目は豊かなのに中身は虚無」という時代にはそろそろ終止符を打つべきであり、それの先駆者になるのが目標である。
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コメント
この記事へのコメント
す、すげえ!!すごいよそれ!
読んでるだけでくつろいできた(笑
金平糖とお茶がツボ!!お煎餅も欲しい!!

将棋盤から布団という展開が、娯楽、くつろぎ、癒しの何たるかを問いかけているよね!?

その料理宿最高!!行きたいよ!笑
読んでいて驚いた。読むだけでくつろいだ。
なんなんだこれは?

天才だよ。今日の論考はさらりとしているようで力作。

そもそも、娯楽を体感したこと、くつろいだこと、癒されたことが、
最近の生活の中で全く思い当たらない!

今日は一緒に提起から結論までお付き合いさせていただきました。
確かに、初めてか「迷わされた?」日かもしれません。笑

今日は家に入る寸前に犬のクソ踏んで散々だったけど、
悲惨なエンディングを向かえなくて良かった〜〜爆
2008/02/14(木) 21:56 | URL | 将 #-[ 編集]
★将様★
文章だけでくつろいでいただけて非常に嬉しいです(笑)。

しかしふと思った・・・・。

私が、この企画を実現した時と、
それを想像している頭の中と、
どっちが本当に娯楽なのか、、と。。。

例えばこれは、
何か欲しいもの探したりそれを手に入れたくて、
雑誌やカタログを指くわえてヨダレたらして、
それを手に入れた時の事を想像している時の楽しみと、
そしてそれを実際に、、、
「手に入れてしまった」
時の感覚と似ているかもしれません。
異性でもそうですね。


どちらかといえば、

頭の中が生む想像の方が、
実は夢があって、
まさに、それこそが、「娯楽」なのかなと思います。

つまり、現代の傾向では、

「モノ」というハッキリ形のある解りやすい何かで
人に幸せを提供しようという傾向があります。
それこそが、現代人がモノで溢れているのに顔は冴えない理由だと考えます。
娯楽はモノや物理的なものが生むのではなく、
そこを現代の商売人は勘違いしている。

モノは確かに必要ですが、
それはあくまでも、
人の脳の中に夢の映像を映し出すスイッチを提供することであって、
その夢の映像ズバリを提供してしまっては娯楽にならないのです。
 つまり、夢と現実には誤差があり、
また、その誤差が「娯楽」になります、
なので、
夢ズバリを与えようとしている現代の行き過ぎた娯楽は偽者です。
だから人は夢を見れなくなりました。
 「こうなったらいいなぁ」「もっとこうすれば・・・」
それを「実現しない事」が「娯楽」かも知れません。

そこらへんのバランスが非常に難しいところであります。
自分が向かおうとしている方向には、
行きたいけれど本当に行ってしまった時に、
娯楽度が今より下がる事を想像しています。
 そうなると、私は物理的な世界を提供するよりも作家にでもなった方が人に本当に幸せな気持ちになってもらえるのかも知れません(笑)。
こういう事考え出すと、
人生とは、、、、
なんなのだろうか・・・・(笑)
2008/02/21(木) 23:42 | URL | TAKAYA管理人 #FECx1CEE[ 編集]
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