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鉄鍵律 自己評論 ②  天 声 燐 語(てんせぇリンゴ)

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2008年04月13日 日曜日/08:02:38/ No.875

鉄鍵律 自己評論 ②

記事分類:♪ 音楽活動/ピアノ/音楽
前の記事の続き…
 モノを創造する上でのキーワードの「こだわり」を持ちすぎると本質から離れる、だからといって「けれん」ということで人の機嫌をとるために我を捨てるようであればそのようなものに高い価値があるとも思いがたい。
 面白い事に、その両方ともが必要で、その両方ともが邪魔なのである。
「自我が邪魔」という感覚の本当の意味はもっと深いところにある。
芸術家は自我を主張したがる傾向があるが(それが第一線で活躍する有名人であっても精神的に浅いと思える人は山といる…)、私が思うには、自我をリセットすることで現れるものがある意味本当の自我でそこから生まれる創造物こそ、もっとも、本質的な何かを秘めているのではないかと思えるわけである。
 自我を捨てると自我に出会える。
自我をすてて人の機嫌をとる、という意味で勘違いして薄っぺらい「ヒット商品」が次々登場する傾向がいつの世もある気がするが、そういうのが「プロ」であり、「けれん」の必要性の意味をそう捉えている芸術家はおそらく勘違いだと思うわけである。
 ただ、「たかが音楽」を大衆に提供し支持されるには、やはりなんらかの「意識」は必要なはずだ。しかし、それを意識していないのにバランスをとれるのがプロであり、また、そういうプロはプロではないのである。
私はよくこれまでにも書いてきた気がするが、
プロというのは何もとてつもない領域にいる人間、何かを知り尽くしていて大衆を喜ばせる事を常に努力・計算してバランスを組み上げ提供する人ではなく、
とにかく、何もかも、テキトーにやっていて、且つ、バランスがとれている、
バランスをとるつもりがないのにバランスがとれる、
99パーセントのテキトーと1%の計算とでもいいましょうか、
それで人がついてこれば、それは端からみて、「プロ」なのではないかと。
 本当のプロほど、「プロっぽくない」というべきか、
プロがプロであるために必死に何かを模索し研究するようなのは逆にプロではない、
本物のプロなら全てテキトーでなんでもこなせる、と思うわけである。
それができない、必死にならないとダメなようなら才能はないので私なら「プロになる」のを諦めるだろう。
勿論テーマは「バランス」だが。
どっちにしても「プロ意識」とか「こだわり」とかはどうでもいい。
そういうウンチクほざく人の芸術には興味はない。
どうせ自分のエゴが大半をしめているのだ。

「新しい」「古い」も常につきまとうし、私自身、そのキーワードには敏感だった。
しかし、最近、そういうのがどうでもよくなった。
おかげで、
鉄鍵律は、
古くて新しくて、簡単で難しいものが、それを計算することなくできたと思う。
創造者にとって「古い」といわれる事は屈辱であるかのようである。
しかし実際は違う。
大衆が求めているものは、一見「新しい」もののようでいてそうではない。
実際、おそらく新しい事をすれば自分が死んだ後ぐらいに時代がやっと追いつくのがオチである(笑)。
人は新しさを求めているくせに、実は古いものが好きなのである。
何故ならそれは、「記憶にある」からである。
知らない人の家に行くと落ち着かない。最初は楽しいけど、結局自分の家に帰るとホッとする。
つまり、新しさは「不安定」なのである。
創造者は常に新しいものを提供しようと必死だ。
当然それは必要だとは思うが、計算するものではない。
「新しい」を勘違いすると本質から遠ざかる。
やがて、それを人に提供することから、ただの自分との戦いやエゴのみのくだらない世界になる。
芸術を愛するはずが芸術を壊すのである。つまりそれは芸術を愛している事にはならない。愛しているから相手を殺して自分だけのものにするストーカーのように、そこらへんは人間関係においてもよく似た紙一重なとこrがあると思うが、どちらにせよ、意外と物事、テキトーな方が実は本質を追求できるはずだ。テキトーから生まれたものがテキトーな結果であればそれはアマチュアだが、テキトーなのにテキトーではないようなバランスの結果が生めたなら、その人はプロにならないわけにはいかないだろう。
 芸術を愛すがゆえに芸術を壊すような事になれば、「けれん」が失われ、聴かれてナンボの音楽の意味がまったくなくなる。
大衆の機嫌をとるというわけではなく、いかに自然にそのバランス感覚を計算せずに己がたどり着けるか。その為には、様々な葛藤を繰り返し、屈辱を味わい、勿論満足も味わい、暴走し、迷走し、自己満足に浸り、人の機嫌ばっかりもとってみたりして、それを繰り返すうちに感覚が磨かれていくと思う。

 鉄鍵律は、私の一旦の芸術活動における気持ちの区切り、転機のような作品になったと思う。
これが今後どう展開するかは解らないし別にどうなろうがどうでもいいし勝手にどうにでもなればいいが。
 まぁ残念ながら朝っぱらや食事中に聴くような音楽ではないのが弱点かと思うわけだが(笑)、バランスは絶妙だとは思いますね。
ま、世の中色んなものが色んな需要に対して存在していいわけですからね(笑)。


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