--- 天 声 燐 語 ---

[芸術:思想:経済:妄想:暴走]
音楽系人間のわりに、為替・経済、人間精神思想などの記事も多くてワケ解らんブログですが(笑)、
とりあえず、私、本当のメインは当然、音楽・芸術なので、そこらへん、よろしくお願いします(謎笑)。
ブログ管理人が幸せになれるまであと 日。
新内
最近、「新内」というものを知る機会があり、CDを聴いている。
メタルTAKAYAどこいった?(笑)

 私自身あまりどういうものか知らなかったのだが、
それこそ昨日の日記の記事のスティーブライヒなどの現代音楽の話と少し繋がるが、
これは「音楽・楽曲として聴く」というものではない気がするが、
「表現」としてこの作品に触れると、やはり心が動くものがある。

このCD、解説の文章とかがついてなくて歌詞しかないのでちょっと調べてみると、
もともとは浄瑠璃人形とかのバックの音楽の派生系??のようなもので江戸時代の文化らしい。

三味線を演奏しながら一文字を10秒ぐらい伸ばしながら唄ったりしてはるものだが(笑)、
時代が古い事もあり言葉の使い方が今と違うので難しい部分もあるが、
やはり日本語という言語の魅力ならではの文化や言葉遊びの面白さも感じられる。
例えば、とある一曲の一部の、
「虫づくし」では、
「女房が松虫 きっぱり縁をきりぎりす
ああ ここなしょにんのゲジゲジめ 紙に包んで一昨日来い
あっちへいね虫」
「いなごいなごとけちらかす
身振りは中車高麗屋」
など、語呂の面白いものが登場したりする。
「いなごいなごとけちらかす」
このリズム、お乳、いや、お尻かじり虫の
「カバとカバとでかばいあい」
のリズムと同じですね、
この語呂は日本人がなんとも好む乗りだが、
いやぁ、なんか江戸って感じですね(笑)。

唄の内容は全体的に、
ハッキリいって、


ドロドロな内容じゃないですか(笑)。
蘭蝶にはお宮という女房がいるのにキャバクラ(??笑)の此糸とかいうキャバ嬢が(笑)、
蘭蝶を気に入って深い仲になるという話のように思うが、
いや、此糸、せっかく世帯の安定している蘭蝶とお宮の人生を勝手に狂わせないでくれ(笑)。

要するにこれは江戸時代版「失楽園」のようなものというニュアンスなのでしょうか???

ところで実際、この作品によって心中が流行した(??)らしく、一時的にこのテの表現を禁止されたことがあるようだ。

まぁ昨日の私の日記にも書いたのですが、
例えば愛なんてものは、
そこらの人が想像しているほどきれいなものではないと思うわけですよ。
人間なんてドロドロじゃないですか。
 そのドロドロ表現を音楽ではなかなか難しいものがあるので、
私は愛などを音楽に乗せたりはしないと昨日の日記に書いたが、
この「新内」というものも、
三味線を使って音には乗せているが、
やはり人間の独特の心情は楽器の音で表現し切れない事を感じされるものがあり、
だからこそ、三味線はそれ(情景描写・流れ)の手伝いをするもので、主は人の唄によって表現されている。そのセリフなどは唄とも朗読ともとれぬ独特のもので、
「人間の心」の「表現」としてその手段というか、表現の仕方のバランスのよさを感じますね。
少なくとも最近の歌謡よりもとても深みのある表現である。

ちょっと前に、ニュースで盗聴などを仕掛けていたストーカー(男)の犯人についてやっていたが、
その男は、自分が生命保険に入って、そして自分が死んで相手の女性にそのお金を渡そうとしていたというような事をいっていたが、
まぁ冷静に考えたら頭が豆腐になってるんじゃないかというほど怖い発想だが、
まぁ、愛というか人間の心の本当の奥底には誰にもそういうものがあるんじゃないでしょうか。
それがもし解らないなら本気で誰かを好きになったことがない人なんでしょうね。
ただ、まぁ難しいところですよね。
例えば、相手が居なくなって淋しくてやりきれないという気持ちがわくのが何故かを考えると、
それは確かに相手の事が好きでたまらないからだろうけど、
相手が居ないと淋しいのは自分が困るからで、
そうなると、
相手が居なくて淋しいから無理にストーカーするというのは、
ただ自分の事しか考えてない、つまりそれは愛とは言わないといえる、
だけど、確かにその想いが嘘とか薄っぺらいかというと、
それは違うと思うんです。
つまり、紙一重なんですよね。
相手が離れてストーカーする人と、
相手が離れてさっさと割り切れる人と、
どっちが本当に愛を解ってるかなんて誰にも解らない。
世間一般からすれば、ストーカーなどとんでもない話だが、
確かにそこに悪意はないはずで、だからこそ難しいんでしょうね。
人間は本来、ドロドロしているのが普通で、
普通のように普段あしらっている人ほどいざって時に異常な事を平気ですると思うのだ。

相手を本当に愛していたら、相手が自分から離れても、
自分よりももっと素晴らしい人を見つけてその人が幸せになることが願うはずですよね、
それが確かに究極の愛、
もっといえば、相手が自分を殺してもそれを許せる、
相手が失明したら片目を分けれる、
認知症になって相手が自分を殺してくれといったら殺す事ができる、
もっといえば、
相手が誰ということなくもっと大きな規模の愛、
つまり慈悲というものでしょうか、
凶悪犯が自分を銃で撃った、それでもそれを許せる、
それが究極の愛かもしれませんが、
それを考えると、
究極なんてどうでもいいよなとも思う(笑)テキトーでもいいなと(笑)。
真実ってものは危険だ。

相手が離れてそれを喜べなんて絶対無理な話ですよね。
つまり愛なんてまぁ幻想ですし、所詮平和ボケした暇人間のエゴかなと。

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